東京キッドブラザース

キッドブラザース

笑顔が最高!笑って生きよう!

キッド

みなさん、こんにちは!日本共産党の手塚弘司です。

先日、自宅の掃除をしていたら、昔の舞台のパンフレットがいっぱい出てきました。大好きで夢中になった「東京キッドブラザース」のパンフです。彼らのステージは最高でした。

キッド・・・

私が劇団ほじゃなでミュージカルを公演するようになったきっかけはキッドでした。初めて観た舞台は「心は孤独なポアロ」です。徳島市文化センターに観に行きました。19歳だったと思います。初めて観たキッド。夢中になりました。それから、キッドの作品を自分の劇団で上演するようになったのです。

初めての作品は「オリーブの枝」。ローラースケートミュージカルです。私たちは生演奏で舞台をしました。藍住町民会館のホールです。舞台が小さいので前へ舞台を作って大きく広くして上演しました。考えてみると、若いからむちゃくちゃできたんですね。

オリーブの枝 オリーブの枝・・・ オリーブの枝・・

 

(以上3枚はほじゃなのオリーブの枝より)

歌もダンスもローラースケートも初めて。よくやったもんです。町民会館、500席が満杯になりました。ほじゃなの第4回公演でした。

それから「ペルーの野球」「街のメロス」「冬のシンガポール」・・・次々とキッドの作品を上演しました。キッドは本当に親切でした脚本使用するためには申請が必要です。上演許可をもらわなければいけません。事務所に上演許可願いを送って、連絡をすると即OKの返事。脚本使用料はいりませんとの返事。そのかわりキッドの舞台を観に来てくださいとのこと。

忘れもしないスタッフの砂田智子さんが親切に対応してくれたことを。「代表の東がいいと言っていますから」と。嬉しかったです。

そんなキッドが魅力的で、大好きでした。笑顔で踊る。一生懸命な姿。必死さ。汗。キッドにいっぱい教えられました。「ほじゃな」の原点はキッドなんです。

つらいことやしんどいこともいっぱいあるけどキッドを観たら元気になる。だから私もそんな舞台を創りたかった。「ほじゃな」を観たら元気になる・・・って言ってもらいたかった。19歳で劇団を創り、ずっと公演してきました。共産党の専従になってなかなか時間がうまく取れなくて公演はご無沙汰していますけど、定年退職したらまたやろうかな。共産党の専従にも定年ってあるんですよ。それまで元気でいないとね。

60過ぎて踊れるかしら?笑顔で踊りましょう。夢は持ち続けないとね。では、また。

東京キッドブラザース

カテゴリー: 未分類   作成者: てづかこうじ パーマリンク
てづかこうじ

てづかこうじ について

●1961年生まれ ●1979年県立板野高校卒業・鳴門信用金庫就職 ●1980年劇団ほじゃなを結成  藍住子ども劇場運営委員長、日本アマチュア演劇連盟理事、徳島演劇協会副会長  鳴門信用金庫職員組合委員長などを歴任 ●2003年徳島信用金庫を退職  日本共産党の専従に  現在、日本共産党徳島地区委員会副委員長

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