(30歳の母です)
みなさん、こんばんは!日本共産党の手塚弘司です。前回のブログの更新(12月13日)から1週間が過ぎました。母の体調が急変したのが13日の夜中でした。救急車で県立病院へ走りましたが、日付が変わった14日早朝、母は家族に囲まれながら逝きました。
13日は朝から腰が痛いと訴えていましたが、大好きなデイサービスにも出かけました。朝食も半分残し、デイでの昼ごはんもあまり食べなかったそうです。帰ってきてから、やっぱり腰が痛いということで整形へ連れて行きましたが、痛み止めをくれただけでした。多分、朝から予兆があったのです。夜の10時過ぎ、ポータブルトイレに座ったまま動かない母を見つけ、あわてて救急車を・・・。そのときにはもう声は出ませんでした。しかし意識はあって「病院へ行こうね」との問いかけに大きくうなずいたそうです。
1年半前、3ヶ月入院したときに「動脈瘤」が見つかって、もうすでに大きくなっていて、いつ破裂するかわからない、破裂したら命は終わり・・・と主治医からは言われていました。母は「死ぬのは嫌じゃ、あと1年は生きたい、まだまだおいしいもんをいっぱい食べて死にたい」と言って泣きました。あれから1年以上生きて、退院してから娘夫婦(私の妹)に2回も温泉に連れて行ってもらい、あんなに嫌がっていたデイサービスにも喜んで行くようになり、デイでは大事に親切にしてもらって、本人は一番幸せな1年半だったのではないでしょうか。
亡くなったのは淋しいですが、苦しまずに、しんどい思いをしないで逝ったことが何よりの救いです。この1週間は葬儀の準備や、葬儀後の後始末や何やかやで、バタバタしながらあっという間に過ぎてしまいました。だから実感が無いんです、まだ。
朝起きて「ばあちゃん、ごはんでよ」と誰もいなくなったベッドに声をかけてしまいます。
買い物が大好きな母でした。
おいしいものを家族そろって食べに行くのが大好きな母でした。
母ちゃん、親不孝な息子を許してな。もっと優しくしてあげたら良かったね。ごめんね。後悔ばかりです。でも、今頃は天国で笑っていると思います。
そう、信じています。
スーパーで買い物をする母・・・。なによりも買い物が好きでした。朝、新聞の折込チラシを見るのが好きでした。デイサービスで、買い物に連れて行ってくれるのを本当に楽しみにしていました。
うどん、和食、中華・・・なんでも大好きでした。最近の母です。私が休みの時には「食べにいけへんで?」と必ず声がかかります。私の休みを楽しみにしていた母です。
大好きな刺身定食。
大好きな回転寿司。どれだけ食べるんや・・・って感じで食べていました。
中学生の頃の私と母です。自宅で。
息子が頑張っているからと金曜行動にも参加しました。もちろん、大好きな大判焼きを駅前で買って帰りました。デモ行進も元気にこの頃はしていました。
亡くなる前の母です。大好きなお好み焼きを食べに来たときです。「はい、写真撮るけん、こっち向いて」と言うとこうやっていつもピースしていました。
母ちゃん、お疲れ様でした。天国でもおいしいもん食べるんじょ。