みなさん、こんにちは!日本共産党の手塚弘司です。台風が日本に近づいています。心配ですね。充分に台風の備え、準備をしてくださいね。
さて、私は15年前から共産党の事務所で仕事をしています。共産党に入党したのは36歳のとき。今から21年くらい前です。娘が生まれる前の年に入党しました。これから生まれてくる娘の時代が平和な時代になりますようにと願い共産党のメンバーに入れていただきました。「何にもできんけど、ほれでもええんだったら」・・・そんな話をして入党申込書に名前を書いたことを覚えています。
小学校の頃から差別が嫌いで、部落問題に興味を持っていた小学生でした。天皇の制度がどうもおかしいと思っていた小学生でした。人間はどうして平等じゃないんだろう。オギャーと生まれた時はみんな裸で、同じように神様から命をもらってこの世に現れたのに。生まれた場所や環境によって、どんどん変わっていく。みんなが幸せに暮らせる世の中にならないとおかしいじゃないか。そんなことを考えていた小学生でした。ちょっと変わった子どもだったかもしれません。
まわりの友達と仲良くすることが苦手で、いつもひとりで教室の片隅で静かに座っている、そんな子どもでした。男らしい、女らしい、という言葉があります。私はこの言葉が大嫌いでした。自分は男として生まれてきましたが、世間でいう「男らしさ」はありませんでした。優しい男の子でした。だからいじめられることもありました。そんな自分が嫌で死ぬことを考えたこともありました。中学生の頃だったと思います。
でも、今も、まだ生きています。高校生になった時、そんな自分を変えたくて演劇の世界に入りました。人並みにしゃべれるようになりたいと思ったし、嫌なことは嫌と言えるようになりたいと思ったのです。まわりの誰もができない演劇の世界で一等賞になって、今までいじめてきた連中を見返してやろうとも思ったのです。高校3年間は演劇三昧。卒業して地元の信用金庫に就職しましたが、すぐにアマチュア劇団を創って活動。信用金庫を辞めるまでの24年間、演劇活動はずっと続けることができました。24歳の時、劇団で知り合った妻とも結婚し、もう33年になります。生きていて良かったと今は思います。
なんで今日、こんなことを書くのかというと、さっきネットで日本共産党の公式ツイッターを覗いてみると。酷い書き込みがいっぱいあるのです。もう目を覆いたくなるような汚い言葉で書き込む人たち・・・。ちょっと悲しくなってしまいました。共産党って、そんなに悪い政党じゃないです。一部の人たちだとは思うけど、とんでもなく誤解しているし、酷い攻撃をしてくる・・・。だから本当の共産党の姿、正しい共産党の姿、もっともっと知ってもらいたいとも思ったのです。だから今日はこんなセンチメンタルな文章を書いているのです。
差別が大嫌いな少年、天皇の制度はおかしいと思っていた少年、そんな少年が共産党と出会うのは偶然じゃなく、必然だったと思います。小学生の時に読んだ小説「橋のない川」を通じて共産党を知り、「二十四の瞳」を読んで戦争は酷いと知り、だから必然なんです。
ひとりでも多くの人に共産党の本当の姿を知ってもらいたい。私を通して知ってもらいたい、そう思うのです。ネットの世界では酷い言葉が飛び交います。そんな汚い言葉、嘘に負けないように頑張らなければ、そう思っています。
では、また・・・。今から日曜版の仕分けです。