みなさん、こんばんは!日本共産党の手塚弘司です。先日、私の地元、上板町泉谷にある疳医者の跡地へ行ってみました。もう建物は壊れてしまってありません。外の塀が残っているだけ。この写真は医院の入口です。
子どもの疳の虫に良い薬があると県外からも通って来ていたといいます。鍛冶屋原の駅を降りて、子どもを背中に背負って、山へ山へと歩いたようです。
(鍛冶屋原駅前。徳島鉄道風景(新)より)
私も幼い頃、足の火傷でここへ来たそうです。亡くなった母から聞きました。寒い日、練炭火鉢の上で熱々のやかんをかぶったそうです。今でも左足に痛々しい痕が残っています。母は幼い私を抱きかかえ、林医院に走ったそうです。母は32歳。まだ若かったですね。
多分、この頃です。では、また後ほど・・・。