今朝の赤旗日刊紙の潮流より
みなさん、こんばんは!日本共産党の手塚弘司です。最近、自分のことを振り返ってみたりしています。53年間、生きてきて、自分は良い人間なんだろうか?悪い人間なんだろうか・・・。時々考えるんです。
私はなんの取り柄もない男です。ただまじめなだけが取り柄の男でした。小学生の頃からおとなしく、口数が少なく、どこにいるのかわからないような少年でした。ですから友達とよべる人はいませんでした。みんなで一緒に遊ぶという経験をあまりしたことない少年でした。中学生までずっとそうでした。以前、同窓会があったときも「手塚くんって、おったっけ?」と言われたほどでした。高校演劇を経験して生まれ変わったような気がしています。だから演劇を大事にしたいと思って、自分で劇団を創りました。子ども劇場運動にも参加をしました。今はかなり明るくなりましたが、根っこのところは変わっていません。シャイで人前で話ができるような人間ではないんです。
今回、県議選挙に立候補する決意をしたのには理由があります。私は昔から「弱いモノいじめ」が大嫌いでした。今の世の中は「弱いモノいじめ」ばっかりやっている世の中です。特に今の安倍自民党政権はそうですよね。許せない!・・・という思いが強くありました。自ら命を絶ってしまうような世の中は変えないといけない。そんな思いもあったんです。
なんやかんや、書いていますが、暗くなりそうなんで、ここでやめます。さ、本題に入ります。今朝の赤旗日刊紙の「潮流」がステキだったので紹介します。
いまの世の中、ときにまじめさや実直さが軽んじられたり、からかわれる風潮があります。そんな生き方は損だとばかりに。しかし実際に社会をつくり、支えているのは、多くの人びとのまじめな生活です。
亡くなった宇津井(うつい)健(けん)さんは、その誠実な生き方が役柄からもにじみ出ていた俳優でした。1970年代のテレビドラマ「たんぽぽ」や「赤い」シリーズでは、厳しくも優しい兄や父を熱演。背筋を伸ばし、正義や道理を説く姿を懐かしく思い出します。
本紙にもたびたび登場。90年代に車椅子の弁護士を体当たりで演じたときには、役を通して障害者の大変さをわかってもらえれば、と語っていました。そして「役者には現在あるのみ、過去の栄光はない。最近の作品は、そのつど最新の『遺書』のつもりで」と。
昨年放映された「渡る世間は鬼ばかり」が遺作になりました。5人の娘の良き相談相手となる小料理屋の主人、2代目岡倉大吉役。板前について勉強し、懐の深い演技を見せていたのに…。
プロ意識も高く、体を鍛え、節制に努めていた宇津井さん。長い芸能生活で休んだことは一度もなかったそうです。社会にも目を向け、テロにも軍事報復にも反対するアピールに名を連ね、平和や憲法9条を守る集会に足を運びました。
温厚で気配りの人は、誰からも愛され、慕われました。同じ事務所に所属する藤原紀香さんも忘れられない言葉をもらったといいます。「有名になればなるほど頭(こうべ)は垂れるもの。実り多き、稲穂のように」
いい記事ですね。赤旗はやっぱりいいです。まだ読んだこと無い人はどうぞお試ししてみてください。1ヶ月3400円です。私に連絡ください。
今夜はここまでにします。明日も元気にお会いしましょう!
あ・・・今日、日曜版が事務所に届きました。また明日、紹介しますね。