弱いものいじめを絶対に許さない! 徳島板野選挙区 手塚弘司

生きていればきっと良いことがある!

みなさん、こんばんは!日本共産党の手塚弘司です。台風8号が四国沖を通過しました。各地で大きな被害が出ているようで、とてもつらいです。被害にあわれたみなさんに心からお見舞い申し上げます。

人生はつらいことの連続です。死にたいと思う事もあります。でも生きていたら必ずいいことがあります。今、つらいことにぶつかっている人は、どうかやけをおこさないでください。前を向いて歩いていきましょう。

私は高校演劇を3年間経験し、高校を卒業してから劇団を創りました。舞台の上から訴えていたことは「生きていればきっと良いことがある!」「元気出して頑張っていこうぜ!」そういうメッセージでした。

今朝の赤旗日刊紙に「来春いっせい地方選 県議候補の横顔」という事で私の記事が載りました。その記事の中で「演劇」のことにも少しふれていまして、今日はこういう日記を書いています。

その記事を読んで徳島市民劇場の三宅修さんがHPで、あたたかい記事を書いてくれましたので、その一部を紹介します。三宅さん、ありがとうございます。私が今、共産党の県議予定候補として頑張れているのも、実は三宅さんがいたからこそなんです。どういう事かというと、共産党へのきっかけを作ってくれたのが三宅さんなんです。

私は高校生の頃から演劇をしていました。当時から徳島市民劇場の会員で舞台を観ていました。高校を卒業して信用金庫に就職した頃だったと思います。三宅さんから電話がかかってきました。「手塚くん、赤旗っていう新聞があるんやけど、読んでみない?演劇の記事もいっぱい載っていておもしろい新聞だよ」と・・・。私は気が弱かったので(笑)断ることができずに読む事にしたのです。毎週届く新聞が楽しみでした。そのうち一週間に一回では物足りなくなって、毎日の新聞もあるんですか・・・といって日刊紙をとることになったのです。

長い長い赤旗日刊紙読者を経て、党員になりました。1996年12月のことでした。2003年には信用金庫を退職して共産党の専従になります。2012年には衆議院選挙に徳島2区から立候補します。そして今回は来年4月の県議選挙です。こう考えると、今の私があるのは三宅修さんのあの1本の電話からなんです。人生って不思議ですね。

三宅修さん、ありがとうござます!

では、三宅さんのHP、「修の視点」から記事を紹介します。

来春の県議選で板野地区から立候補する「手塚弘司」さんは、高校生の頃からの演劇愛好者だ。

板野高校演劇部出身で、卒業後は「劇団ほじゃな」を創り、ミュージカルをいくつも上演した。

もちろん、市民劇場の永い会員で、忙しい党務の間をぬって市民劇場例会に参加している。 僕の後の事務局長になってほしいと密かに願ったこともある。 

正義感があって心優しい、こういう人にこそ議員になってもらいたい。

ヒンシュクを買った「セクハラヤジや号泣」議員には、手塚さんのような共産党候補者の爪の垢でも煎じて飲ませたい。

今夜はここまでにします。明日は金曜日です。105回目の徳島金曜日行動です。一昨年の7月13日に第1回目の抗議行動をしましたので、明日でちょうど2年になります。夕方6時に徳島駅前に集まってください。再稼働反対の声、みんなで出しましょう。誰でも自由に参加できます。遠慮なくお越しください。

ニュースペーパーの楽しい動画をごらんください。

さようなら原発講演会「原発を東京湾に造らなかったのは万が一の事を考えて」

明日は今日よりきっと良い日のはず。おやすみなさい・・・。

カテゴリー: 未分類   作成者: てづかこうじ パーマリンク
てづかこうじ

てづかこうじ について

●1961年生まれ ●1979年県立板野高校卒業・鳴門信用金庫就職 ●1980年劇団ほじゃなを結成  藍住子ども劇場運営委員長、日本アマチュア演劇連盟理事、徳島演劇協会副会長  鳴門信用金庫職員組合委員長などを歴任 ●2003年徳島信用金庫を退職  日本共産党の専従に  現在、日本共産党徳島地区委員会副委員長

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です