政党助成金は廃止したらいいと思わへん?

新春旗開きで

新春旗開きでご挨拶させていただきました。左から山田豊県議予定候補、マイクを握る上村恭子県議予定候補、中央が私、手塚弘司、わたなべ亜由美徳島市議予定候補、古田みちよ県議です。(画像は山田豊さんのフェイスブックより)

藍住町で街頭宣伝!

みなさん、こんばんは!日本共産党の手塚弘司です。今日の午前中は藍住町で街頭宣伝です。林茂藍住町議と藍住のFさんと運転手のMさんと私の4人で町内を走りました。手塚弘司の名前はまだまだ知られていないので、どんどん外へ出て姿を見せなければと思っています。明日の午前中も私の地元、上板町で街頭宣伝の予定です。柏木みちよさんと一緒です。

「藍住町は私の第2の故郷です。みなさんの声をしっかりと届けさせてください」

そう訴えました。私は信用金庫に24年間勤務しましたが、最初の支店が藍住支店だったのです。藍住町の人口がどんどん増えていっていた頃、1979年、昭和54年です。私は18歳でした。18歳から3年間を藍住支店で過ごしたのです。藍住支店は開店したばっかりで、顧客もいませんでした。毎日毎日、新規訪問の繰り返しです。だから鍛えられましたね。

その頃、青年団の活動に参加しました。藍住子ども劇場運動に参加したのもこの頃です。劇団「ほじゃな」を創ったのが1980年、昭和55年の2月です。それからずっと藍住町を中心に子ども劇場、青年団、劇団「ほじゃな」の活動をしてきました。劇団も藍住町勤労青少年ホームを稽古場にずっと使わせていただいていました。藍住で生まれた劇団でしたから、藍住町のみなさんにとって「ほじゃな」は自分たちの町の劇団だという感じだったかもしれません。藍住町の成人式では毎年、演劇公演をしていました。20歳の若い青年たちに生の舞台を観てもらう。そういうことをやっていました。なかなか藍住町もやるじゃない・・・って感じだったんですね。

藍住町民会館ホールで公演をしていました。徳島新聞の記事を保存していたので紹介します。「春の小川はさらさらいくよ」という作品の劇評です。晩年のほじゃなの作品です。私が37歳の時です。

素朴な演技に好感

写真中央のゲイバーのママの役が私です。公演のビデオを懐かしく見ることがありますが、自分でもうっとりするくらいキレイです(笑)

もし、見たいという人がいらっしゃいましたら、ビデオがあります。連絡くださればお見せします。遠慮なくどうぞ。

現代の村芝居

今朝の街頭宣伝は藍住町の勤労青少年ホームの前の駐車場で待ち合わせをしました。懐かしい稽古場・・・。思わず写真を撮りました。

藍住勤労青少年センター

ここの1Fが管理室、2Fに音楽室など。3Fに和室、太陽の間とみどりの間があります。4Fがホールでジャズダンスなどをやっていました。ほじゃなは毎週木曜日に3Fの太陽の間で稽古をしていました。4Fホールでは立稽古などをしていました。懐かしいです。

青少年ホームや町民会館など、建て替えるという計画があるようです。この公共施設複合化事業計画には、たくさんの税金が投入されるようです。予算はなんと34億円(取り壊しの費用は別)。演劇をやっている人間としては、新しいホールができるのは嬉しい事ですが、専門家の声や町民の声をしっかりと聞いてほしいと思いますね。

 

今朝の赤旗日刊紙の記事から

国会議員が増えて議案提案権ができて、早速、動き出す日本共産党の国会議員団から目が離せません。政党助成金こそ無駄です。廃止しましょうよ。今朝の赤旗日刊紙の記事を紹介しておきます。金を貰おうと、あっちの政党へ行ったり、こっちへ行ったり、もう節操のない、情けない議員が多すぎるし、情けない政党が多すぎると思います。では、記事をどうぞ。

次世代の党は9日の臨時総務会で、園田博之衆院議員が同党を離党し太陽の党に移籍することを承認しました。園田氏の移籍により、太陽の党は政党助成金の受給資格を得ました。生活の党、日本を元気にする会に続く、助成金を目当てにした“かけ込み”政党です。届出期限は17日。

太陽の党は、園田氏や次世代の平沼赳夫党首らが発起人となり2010年に結成した「たちあがれ日本」に、石原慎太郎元衆院議員らが合流するとともに「党名変更」して12年“結党”しました。

石原氏らが「日本維新の会」に合流したあとも「太陽」は政治団体として存続していました。昨年9月に西村真悟元衆院議員が代表に就きましたが、同氏は年末の衆院選前に離党し次世代から立候補。「太陽」は再び休眠状態になっていました。

「たちあがれ」が10年参院選比例で2%獲得していたことに基づき、園田氏の移籍で政党助成法上の政党要件を満たすことになり、2015年分の政党助成金の受け取りが可能になります。助成金を受け取るためだけの目的で、次世代とは一体関係にある「太陽」に“移籍”をするもの。助成金にむらがるような移籍で、政党・政治家の資格と倫理が問われます。

 園田氏自身も、8日の自民党熊本県連の新春の集いで「3カ月ぐらいで自由の身になって皆さんと仕事をしたい」(9日付「熊本日日」)と自民党への復党に意欲を示していると報じられています。

今夜はここまでにします。おやすみなさい・・・。
明日は今日よりきっと良い日です!

カテゴリー: 未分類   作成者: てづかこうじ パーマリンク
てづかこうじ

てづかこうじ について

●1961年生まれ ●1979年県立板野高校卒業・鳴門信用金庫就職 ●1980年劇団ほじゃなを結成  藍住子ども劇場運営委員長、日本アマチュア演劇連盟理事、徳島演劇協会副会長  鳴門信用金庫職員組合委員長などを歴任 ●2003年徳島信用金庫を退職  日本共産党の専従に  現在、日本共産党徳島地区委員会副委員長

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