年金が下がって下がって、これ以上下がったら首をくくらなあかん!

 明るく、元気に、さわやかに!・・・朝の宣伝!

石田さんと一緒に朝宣伝

みなさん、こんばんは!日本共産党の手塚弘司です。今朝は藍住町直道交差点での朝の定例の宣伝からスタートです。板野町の石田実町議と池田さん、松茂から増谷さんが応援に駆けつけてくださいました。元気に4人で宣伝しました。7時30分から手を振っています。今朝も冷たかったですね~。8時になったらマイクを握ります。今日はいつも元気な古田元則県書記長がいなかったので、私がめいっぱい訴えました。

石田実町議もブログで今朝の宣伝のことを書いています。

今朝の徳島新聞に大きく取り上げられた、元県議の政務調査費の問題も話をしました。私たちの税金ですから、きちんとしなければいけません。いい加減な報告、不正行為、許されるものではありません。私は日本共産党の候補者として4月の県議選挙に立候補予定ですが、県民の立場に立って、弱いモノの立場に立って、モノが言えるようになりたいです。いえ、なります!頑張ります!

朝の宣伝が終わって、近くのマックで軽く朝食を・・・。そのあとKさんと一緒に藍住町を歩きました。核兵器ストップのアピール署名を持って、赤旗日曜版の宣伝紙を持って、歩きます。今日はたくさんの人が署名をしてくださいました。「戦争が終わって今年は70年です。絶対に戦争はしたらあかんと思います。この署名は日本中で集めて国連本部に持って行くんです。ぜひご協力ください」快くみなさん、書いてくださいます。

赤旗の宣伝紙をみなさんに紹介していくので、いっぱい準備したのですが、無くなってしまいました。まさに赤旗日曜版の全戸配布といったところでしょうか(笑)

笑顔で頑張ります!

年金をどないぞしてくれたら共産党に入れるでわ!

あるお宅へ訪問したときです。「おまはんは県議になったら何をしてくれるんぞ!」と、難しい顔をした男性です。苦虫を噛みつぶしたような顔のその男性は「庶民の味方、弱いもんの味方だけではわからん。具体的に何をしてくれるんな!」とたたみかけてきます。

私のリーフを見てもらいながら話をしていたのですが・・・。

「若者を戦争に送らない・・・やどうでもいい!原発も・・・どうでもいい!沖縄や・・・関係ない!消費税は・・・これは関係ある。10%はやめてほしい。けどな、一番してほしいんは年金じゃ。年金が下がって下がって、これ以上下がったら首をくくらなあかん。安倍や、自民党のやつらは、わしら年金で暮らしているもんの気持ちやわからんのじゃ。年金のこと頼むでよ!」

彼は言いたいことをいっぱい言ってドアを閉めました。

最後まで「あんたに投票する」とは言ってくれませんでしたが、本当に困っている人がたくさんいます。今の自民党政治に不満を持っている人がたくさんいます。そういうみなさんの声をしっかり受け止めて、頑張りたいと思います。

 

藍住町はかぶらも有名です!

かぶらを出荷している農家を訪問しました。納屋でかぶらを洗って箱に詰めている作業中にお邪魔したのですが、藍住町は洋ニンジンの産地だと昨日のブログで書きましたが、かぶらも有名なんですね。

「手塚って、おまはん、上板の人で?わしな、●●と友達なんじゃ、頑張ってよ」

「農家はコメを作っても大変なんよ。けど、仕方ないでえな。たんぼを遊ばせとく訳にいかんけん。あんた、農家を頼みます」

藍住町のHPでかぶらのことが書かれています。レシピもあるので覗いてみてください。

 

ポスターの人やね、応援しています!

藍住町をまわっていても、またまた言われてしまいました。「ポスターの人やね」と・・・。以前の日記で何度もポスターの威力のことは書きました。24時間、文句言わずに宣伝してくれる・・・。感謝だと・・。

午後から夜にかけては、北島町を歩きました。増谷町議と一緒です。ここでも、またまたポスターのことを言われました。今日は増谷さんのことです。「いつも増谷さんのポスター、見ていますよ。実物よりきれいに撮れているな」と・・・(笑)

毎日、板野郡内を駆け回っていますが、人と会って話をするのが本当に楽しいです。てづかこうじ、明日も頑張ります!今夜は宿直です。

北島町に貼り出すポスター

【おまけ】

今度、私の地元、上板町に配布するビラを準備しているのですが、手記を書こうと思っているのです。手塚弘司のことを、もっともっと知ってもらいたいと思うのです。ただいま準備中。仕上がりましたら、みなさんのところへお届けしますので見てくださいね。

以前、赤旗読者のみなさんへ配布した「てづかこうじの世直し劇場」10月号に簡単な手記を書いたことがあるんです。紹介しておきます。

私は板野郡の上板町泉谷に住んでいます。生まれも育ちも上板町です。幼い頃からおとなしい子どもでした。人前でしゃべることもできないような子どもでした。だから友達もあまりいませんでした。そんな自分が嫌で、自分を変えたいと思っていました。

高校生になって演劇部のドアをノックしました。板野高校の演劇部は当時、全国大会最多出場を誇る伝統校でした。厳しい稽古でも有名でした。私は人並みにしゃべれるようになりたい、嫌なものは嫌だと言えるようになりたいと毎日稽古に励みました。三年間、頑張って自分を大きく変えることができました。

高校を卒業して鳴門信用金庫に勤務しました。最初の勤務地は藍住支店でした。松茂支店、北島支店と板野郡内を駆けめぐりました。そのとき、世の中っていうのは強いものが勝って、弱いものが泣くんだと知りました。それは嫌だ。そんな世の中は変えなければいけないと思ったのです。

信用金庫に勤めながら「劇団ほじゃな」を創りました。自分を変えてくれた演劇を大事にしたいと思ったし、自分のように悩んでいる人に元気になってもらいたいと思ったのです。舞台の上から訴えたことは「今はつらいかもしれないけど、元気だそうよ。きっと明日は今日より良い日だから」負けずに頑張ろうというメッセージでした。

藍住子ども劇場の運動にもかかわって頑張りました。劇団の活動を始めたときと同じ頃でした。「子どもたちに大きな夢を」と頑張りました。生の舞台を観て目をキラキラ輝かせる子どもたちが大好きでした。演劇って本当にすごいんです。人生に疲れて、死のうと思っていた人に、勇気と希望を与えることもできる。だから大事にしたかったのです。

共産党との出会いは、住井すゑの小説「橋のない川」です。私は人間はみんな平等だと思っていました。だから子どもの頃から天皇の制度はおかしいと思っていたのです。共産党は誰もが平等な世の中をつくろうと頑張っている政党です。戦争にも反対をした唯一の政党です。だから私は共産党を選びました。共産党の一員として今、頑張れていることに誇りを感じています。

カテゴリー: 未分類   作成者: てづかこうじ パーマリンク
てづかこうじ

てづかこうじ について

●1961年生まれ ●1979年県立板野高校卒業・鳴門信用金庫就職 ●1980年劇団ほじゃなを結成  藍住子ども劇場運営委員長、日本アマチュア演劇連盟理事、徳島演劇協会副会長  鳴門信用金庫職員組合委員長などを歴任 ●2003年徳島信用金庫を退職  日本共産党の専従に  現在、日本共産党阿北地区委員会委員長

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