日本共産党綱領、今が旬

綱領って何よ???

みなさん、こんにちは!日本共産党の手塚弘司です。今日も暑いですね

毎回、暑い暑いと言っております(笑)

今、どこの会議に参加しても、日本共産党創立94周年記念講演のDVDを見たり、読んだりしながら学習をしています。今、日本共産党の「綱領」が旬だと志位委員長は言いました。まさにそのとおりだと思います。日本共産党の綱領をたくさんの人に読んでもらいたいし、知ってもらいたいと思うんです。で、今日は綱領の第1章を紹介します。第1章は戦前の日本社会と日本共産党です。

全文は日本共産党中央委員会のHPから読めますので参考までにどうぞ!

では・・・どうぞ。

花束

一、戦前の日本社会と日本共産党

 (一)日本共産党は、わが国の進歩と変革(へんかく)の伝統を受けつぎ、日本と世界の人民の解放闘争(かいほうとうそう)の高まりのなかで、一九二二年七月一五日、科学的社会主義(かがくてきしやかいしゆぎ)を理論的な基礎とする政党として、創立された。

 当時の日本は、世界の主要な独占資本主義国(どくせんしほんしゆぎこく)の一つになってはいたが、国を統治(とうち)する全権限(ぜんけんげん)を天皇が(にぎ)専制(せんせい)政治(せいじ)絶対主義的天皇制(ぜつたいしゆぎてきてんのう せい))がしかれ、国民から権利と自由を奪うとともに、農村では重い小作料(こさくりよう)で耕作農民をしめつける半封建的(はんほうけんてき)地主制度(じぬしせいど)が支配し、独占資本主義も労働者の無権利と過酷(かこく)搾取(さくしゆ)を特徴としていた。この体制のもと、日本は、アジアで唯一(ゆいいつ)帝国主義国(ていこくしゆぎこく)として、アジア諸国にたいする侵略(しんりやく)と戦争の道を進んでいた。

 党は、この状況を打破(だは)して、まず平和で民主的な日本をつくりあげる民主主義革命(みんしゆしゆぎかくめい)を実現することを当面の任務とし、ついで社会主義革命(しやかいしゆぎかくめい)に進むという方針のもとに活動した。

 (二)党は、日本国民を無権利状態においてきた天皇制の専制支配を倒し、主権在民(しゆけんざいみん)、国民の自由と人権をかちとるためにたたかった。

 党は、半封建的な地主制度をなくし、土地を農民に解放するためにたたかった。

 党は、とりわけ過酷な搾取によって苦しめられていた労働者階級(ろうどうしやかいきゆう)の生活の根本的な改善、すべての勤労者、知識人、女性、青年の権利と生活の向上のためにたたかった。

 党は、進歩的、民主的、革命的な文化の創造と普及のためにたたかった。

 党は、ロシア革命と中国革命にたいする日本帝国主義の干渉(かんしよう)戦争、中国にたいする侵略戦争に反対し、世界とアジアの平和のためにたたかった。

 党は、日本帝国主義の植民地(しよくみんち)であった朝鮮、台湾の解放と、アジアの植民地・半植民地諸民族の完全独立を支持してたたかった。

 (三)日 本帝国主義は、一九三一年、中国の東北部への侵略戦争を、一九三七年には中国への全面侵略戦争を開始して、第二次世界大戦に道を開く最初の侵略国家となった。一九四〇年、ヨーロッパにおけるドイツ、イタリアのファシズム国家と軍事同盟を結成し、一九四一年には、中国侵略の戦争をアジア・太平洋全域に拡大し て、第二次世界大戦の推進者となった。

 帝国主義戦争と天皇制権力の暴圧によって、国民は苦難(くなん)()いられた。党の活動には重大な困難があり、つまずきも起こったが、多くの日本共産党員は、迫害(はくがい)投獄(とうごく)に屈することなく、さまざまな裏切りともたたかい、党の旗を守って活動した。このたたかいで少なからぬ党員が弾圧(だんあつ)のため生命を奪われた。

 他のすべての政党が侵略と戦争、反動の流れに合流するなかで、日本共産党が平和と民主主義の旗を掲げて不屈(ふくつ)にたたかい続けたことは、日本の平和と民主主義の事業にとって不滅の意義をもった。

 侵略戦争は、二千万人をこえるアジア諸国民と三百万人をこえる日本国民の生命を奪った。この戦争のなかで、沖縄は地上戦の戦場となり、日本本土も全土にわたる空襲(くうしゆう)で多くの地方が焦土(しようど)となった。一九四五年八月には、アメリカ軍によって広島、長崎に世界最初の原爆が投下され、その犠牲者(ぎせいしや)は二十数万人にのぼり(同年末までの人数)、日本国民は、核兵器の惨害(さんがい)をその歴史に刻み込んだ被爆(ひばく)国民となった。

 ファシズムと軍国主義(ぐんこくしゆぎ)の日独伊三国同盟が世界的に敗退するなかで、一九四五年八月、日本帝国主義は敗北し、日本政府はポツダム宣言を受諾(じゆだく)した。反ファッショ連合国によるこの宣言は、軍国主義の除去と民主主義の確立を基本的な内容としたもので、日本の国民が進むべき道は、平和で民主的な日本の実現にこそあることを示した。これは、党が不屈に掲げてきた方針が基本的に正しかったことを、証明したものであった。

花束 ありがとう

ね!綱領ってこんな感じなんです。今日は水曜日ですから、日曜版が事務所に到着します。忙しい非難ですよね。暑いけど、頑張ります。

【笑い話】

私、昔、日本共産党に入ったとき、「綱領」が読めなくてね。「もうりょう」って読んで笑われたことがあります。普段使わないジャンね、綱領なんて。魑魅魍魎ってか(笑)

この字は書けない

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カテゴリー: 未分類   作成者: てづかこうじ パーマリンク
てづかこうじ

てづかこうじ について

●1961年生まれ ●1979年県立板野高校卒業・鳴門信用金庫就職 ●1980年劇団ほじゃなを結成  藍住子ども劇場運営委員長、日本アマチュア演劇連盟理事、徳島演劇協会副会長  鳴門信用金庫職員組合委員長などを歴任 ●2003年徳島信用金庫を退職  日本共産党の専従に  現在、日本共産党徳島地区委員会副委員長

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