青春舞台 2016

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全国高等学校演劇協議会のHPより

高校演劇はやっぱ、いい!

みなさん、こんばんは!日本共産党の手塚弘司です。先日、Eテレで高校演劇の全国大会を特集していた番組「青春舞台」を見ました。2時間の番組で出場していた12校を1時間にわたって紹介し。最優秀賞になった高校は1時間ばっちりノーカットで放送されました。

最優秀賞は、岐阜農林高校「I s (あいす)」

なかなかやるじゃん。すごいですよ。私は高校演劇部出身で、卒業してからアマチュア劇団「ほじゃな」を創って活動してきました。舞台が、演劇が、私の生活の一部でした。15歳から舞台に立ち、約13年前まで現役で頑張っていました。共産党の専従になったのが2003年です。それからは時間がなかなか作れなくなり、舞台の活動から離れています。でも、演劇への情熱は消えていないんですね。

先日、アナウンサー学校に参加して、発声練習や早口言葉、複式呼吸などをみんなに教えているとまたあの舞台に立ちたいという気持ちがむくむくと(笑)

で、今回の「青春舞台」でしょ。

私は板野高校の演劇部でした。私が高校時代、板野高校演劇部はかなり厳しい部でした。合宿練習が何日も続くんです。全国大会参加回数は、当時、全国最多だったと思います。懐かしいなあ・・・。みんな、どうしているだろう・・・。

劇団「ほじゃな」も公演を止めて13年になります。でも、毎年1回、みんなで集まって近況報告しあったりして、仲良くしているんです。また舞台やりたいねって話にはなるんですけどね。

話があっちこっちしますが、15歳の時に初めて全国大会に出場しました。青森県八戸市での大会でした。忘れもしません。八戸市公会堂です。「哭女(なきをんな)」という浅香寿穂先生の作品でした。1976年、昭和51年の夏でした。北星学園女子高校の「はい さいなら」という作品が最優秀賞でした。橋本栄子先生の作品です。

1976年高校演劇全国大会のパンフより(板野高校 哭女)

これは初めての全国大会「哭女(なきをんな)」の舞台です。

あの時から高校演劇に夢中になり、全国大会にはずっと参加をしていました。

1976年(昭和51年) 八戸大会

1977年(昭和52年) 千葉大会

1978年(昭和53年) 神戸大会

1979年(昭和54年) 大分大会

1980年(昭和55年) 金沢大会

1981年(昭和56年) 秋田大会

1982年(昭和57年) 宇都宮大会

1983年(昭和58年) 宇部大会

1984年(昭和59年) 各務原大会

1985年(昭和60年) 盛岡大会

1986年(昭和61年) 吹田大会

1987年(昭和62年) 名古屋大会

1988年(昭和63年) 熊本大会

1989年(平成元年) 倉敷大会

1991年(平成3年) 丸亀大会

1993年(平成5年) 浦和大会

1994年(平成6年) 松山大会

以上17回の参加です。よくまあ、行きましたね~。でも、すばらしいんですよ。以前、赤旗で全国大会の特集をしてくださったことがあります。あの時、赤旗の編集室に手紙を送ったりしたことも思い出しました。「演劇の全国大会、高校演劇の甲子園。ぜひ取材してほしい」と・・・。私の要望に応えてくれて特集記事を書いてくれたのではないでしょうが、いい記事でした。「今、高校演劇がおもしろい」だったかな。

さて、来年夏の全国大会は宮城です。う~ん、遠いなあ・・・。

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夕方から綱領の学習会に参加していました。学習会に参加していた男性が、その場で入党するという嬉しい事件もありました。今夜は宿直です。では、おやすみなさい・・・。

 

 

カテゴリー: 未分類   作成者: てづかこうじ パーマリンク
てづかこうじ

てづかこうじ について

●1961年生まれ ●1979年県立板野高校卒業・鳴門信用金庫就職 ●1980年劇団ほじゃなを結成  藍住子ども劇場運営委員長、日本アマチュア演劇連盟理事、徳島演劇協会副会長  鳴門信用金庫職員組合委員長などを歴任 ●2003年徳島信用金庫を退職  日本共産党の専従に  現在、日本共産党徳島地区委員会副委員長

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