弱きを助ける演劇マン

今日の赤旗日刊紙の西日本のページで紹介されました。「駆ける 小選挙区候補」ということで紹介をしていただきました。板野高校の演劇部で活動していましたし、信用金庫に就職してから「劇団ほじゃな」を創り、演劇大好き青年だったことからこういうタイトルになったのでしょう。

私は小学校、中学校と内気でおとなしく、人前でしゃべることが苦手な少年でした。運動も苦手でクラスでも目立たない、いるのかいないのかわからない少年でした。だから友達もいませんでした。このままでは自分は駄目になってしまう・・・・・そう思った私は高校で演劇部のドアをノックしたのです。高校で3年間、演劇部で過ごし人並みにしゃべれるようになりました。自分を変えてくれた演劇を大事にしたい・・・そう思い、自分で劇団を創ったのです。舞台の上からいつも訴えていたものは・・・。

死ぬんじゃないよ!生きていれば絶対にいいことがある!元気にがんばろう!どうしても生きることが辛くなったらここにおいで。僕たちはいつもここにいるから!

15歳で高校演劇と出会った時から私の人生は大きく変わったように思います。

 

今日の午前中は地元の上板町での街頭宣伝。支部のみなさんと一緒に10ヵ所でマイクを握りました。「人がいっぱいおるところで宣伝しようか」ということで車の通りの多いところでしゃべりました。車から手を振ってくれる人が多くてうれしかったです。頑張らなきゃ・・・。

午後は隣の板野町を訪問。夜も板野町を訪問。

「消費税はもう決まってしもうたけん、あかんのでないで?消費税は上げなんだら日本の国がもたんけんな」

そういう人にはていねいに「いやね、実はね」と話をしましたが、うまく伝わったでしょうか。

あ・・・・・9日の演説会の原稿を書かないと!練習もしないと!ちょっと焦っている私です。

記事全文はこちらをご覧ください。

カテゴリー: 未分類   作成者: てづかこうじ パーマリンク
てづかこうじ

てづかこうじ について

●1961年生まれ ●1979年県立板野高校卒業・鳴門信用金庫就職 ●1980年劇団ほじゃなを結成  藍住子ども劇場運営委員長、日本アマチュア演劇連盟理事、徳島演劇協会副会長  鳴門信用金庫職員組合委員長などを歴任 ●2003年徳島信用金庫を退職  日本共産党の専従に  現在、日本共産党阿北地区委員会委員長

2 thoughts on “弱きを助ける演劇マン

    • 琵琶さん、コメントありがとうございます。
      そうですか?演劇部の顧問をなさっていたのですか。
      高校演劇は懐かしいです。
      北海道は高校演劇の強い高校がたくさんあり、素晴らしい舞台を全国大会に持ってきていました。
      私はセリフ覚えの悪い落ちこぼれの演劇青年でした。
      明日の演説会のたった5分の原稿が覚えられず悩んでいます(笑)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です