東京都知事選挙 渋谷フェス 宇都宮けんじ応援演説 辛淑玉

辛さんの渾身の訴えを聞いてください!

みなさん、こんばんは!日本共産党の手塚弘司です。東京都知事選挙の真っ最中です。宇都宮さんの応援演説をする辛さんの訴えを聞いてください。何も言う事はありません。素晴らしい応援演説です。私は涙が出ます。

こちらからお聞きください!

差別のない東京であったなら、女でなかったら、朝鮮人でなかったら、私にはほかの人生があっただろうかと思う
一票にならない人間に声を上げてくれた人が今までいたでしょうか
人権は好きだけど当事者は嫌い、という人がいっぱいいました

私は差別が大嫌いです。人間はみんな平等でなければいけません。

他人を差別する人間を私は信用しません。どんなに偉い人でも、どんなに勉強のできる人でも、どんなに頭の良い人でも、他人を差別するような人間を、私は絶対に許しません。

誰もが死なないでいい世の中になればいいと思います。誰もが笑って暮らせる世の中になればいいと思います。

東京都知事選挙は「宇都宮けんじ」と書いてください!

弱い立場の人間を大事にできる人。それが宇都宮さんです。

性的マイノリティーが直面している問題についてのアンケートを都知事選の候補に送ったところ、返事をくれたのは宇都宮さんだけでした」「宇都宮さんは、性的マイノリティーをめぐる現状を政治から変えることを約束してくれました」(赤旗1/24)

アンケートにまともに答えもしてくれないような人は知事にはふさわしくありません。宇都宮さん以外の人は返事さえくれなかった・・・。ここだけで判断してもいいくらいです。宇都宮さんに勝ってほしい…心から、そう思います。

今夜はここまで!また明日も元気にお会いしましょう

 

【おまけ 辛さんのフェイスブックからの転載記事です】

今日は、渋谷での応援演説でした。渋谷は、私が通った都立第一商業があります。
転入した中学校で、男子生徒が、商業高校を出れば朝鮮人でも就職ができると言ったので、カタカナの「ツ」と「シ」の違いもわからないほどの私が、必死に勉強して入りました。
当時の我が家にとって高校に通うということは経済的にも大変厳しいことでした。

だから、必死に働きました。

一番きつかったのは、ビルの掃除とオフィースで働く人の机の下にあるゴミを集める仕事でした。そのゴミを裏階段から運ぶのは、重くて、痛くて、臭くて、全身がクタクタになりました。朝は新聞配達、夜は飲食店、土日はパン屋、髪が伸びればカットモデル、そして、ビール瓶などを集める仕事をして学校にいきました。

高校一年が過ぎ、卒業生の就職先をみて、在日の先輩で企業に就職した人が一人も居ないことを知り、愕然としました。
働いて、交通費も授業料も払って勉強する意味がなくなりました。ビル掃除の度に見る「お茶くみ」の女性たちがキラキラキラキラみえました。あんなふうになりたかった。

朝鮮人であるということは、食べていけるだけの仕事が得られ無いということでした。明日でなく、今を生きるために、私は、起業したのです。そこしか道がなかったからです。

いま日本で起きているのは、日本人の二級市民化です。
まさに、「朝鮮人」のように扱われるのです。
それは、ダメなのですよ。
日本人でも、なに人でも、人は、人として、ちゃんと扱われないといけないのです。

だのに、今、
ヘイトスピーチが鳴り響く東京で、朝鮮人は「殺せ」とまで言われるようになりました。哀しいかな、その声は全国に広がりました。
 

「貧しさ」と「差別」の嵐が吹きあれています。

そして、この2つは政治が作ったのです。
だから、政治を変えれば超えていけるのです。

宇都宮さんは、
■まず、「貧乏」と向き合ってくれました。
■次に「声にならない人たち」の傍に寄り添いました。
■そして、「一票持たない人たち」のために、立ちはだかってくれました。

「のりこえねっと」の共同代表にと声をかけたとき、二つ返事で引き受けてくれました。まさにヘイトの嵐の中で、私の横に立って、傘をさし、その暴力と向き合ってくれているのです。

「正義」とは、宇都宮健児の枕詞です。応援してください。

カテゴリー: 未分類   作成者: てづかこうじ パーマリンク
てづかこうじ

てづかこうじ について

●1961年生まれ ●1979年県立板野高校卒業・鳴門信用金庫就職 ●1980年劇団ほじゃなを結成  藍住子ども劇場運営委員長、日本アマチュア演劇連盟理事、徳島演劇協会副会長  鳴門信用金庫職員組合委員長などを歴任 ●2003年徳島信用金庫を退職  日本共産党の専従に  現在、日本共産党徳島地区委員会副委員長

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