松島小学校3年生の担任の先生との再会
みなさん、こんばんは!日本共産党の手塚弘司です。今日の午前中は私の地元、上板町を柏木みちよさんと歩きました。11日の演説会を案内しながら、後援会ニュースを持って、署名を持って、赤旗日曜版の宣伝紙を持って、歩きます。
あるお宅で、懐かしい人との出会いがありました。私が小学校3年生のときの担任の先生との出会いでした。実は私も最初はわからなかったのです。柏木さんが私を紹介してくれます。「手塚弘司と申します。上板町の泉谷です。地元ですので、どうぞよろしくお願いします」そんな話をして名刺を渡します。名刺を見ながら彼女がこう言うのです。
「てづかこうじさんって名前、覚えているんです。昔、私が松島小学校にいたときに担任をしたような気がするんですけど・・・。人違いだったらごめんなさい。新聞で名前見たり、衆議院選挙の時から気になっていたんですけど」
彼女の顔を見ながら・・・・・、思い出しました!S先生や!順子先生や!
「先生、松島小学校の3年生の時、担任をしてもらいました。あれから会っていませんから、え~っと・・・先生44年ぶりです!先生、あのころからちっとも変わりませんね・・・って言うたら嘘になるけど、わかります。先生、若いです、すごく嬉しいです、懐かしいです」
「手塚さん、面影あるわ。目のあたりとか・・・。おとなしい男の子やった。女の子といつも一緒に帰っていたよな。静かな子やったわ、覚えてる」
「そうなんですよ。人前でしゃべれるような子どもでなかったです。いつも女の子と一緒に遊んでいたしね。よく、先生、覚えていますね。あのおとなしい子が今度、県議選挙に出ます。どうぞ、よろしくお願いします」
順子先生から力強くさっと手を出してくれます。私と固い握手をしました。先生の目が潤んでる・・・。
「私、涙が出そうや・・・」先生がそうつぶやく・・・。
先生の手を握りながら、私も泣きそうになりました。小学3年生の時、多分、順子先生は私の手を握ってくれたと思います。友達もいない、おとなしい男の子だったので、気にもかけてくれていたかもしれません。あれから44年。先生、私も大きくなりました。おっさんになってしまいました。あの時は、本当にお世話になりました。先生、本当にありがとうございました。順子先生、どうぞ、いつまでもお元気で。
板野町で街頭宣伝!
午後から天羽いくみ板野町議と一緒に街頭から訴えました。11日の高橋ちづ子演説会の案内をしながら車を走らせました。たくさんの人に演説会に参加してもらいたいのです。11日(土)午後3時に徳島市文化センターです。入場無料です。誰でも参加できます。ぜひ一度、共産党の話を聞いてみてください。
「党名を変えたらええんじゃ、名前で損しとる、名前を変えたら日曜版を購読するわ」
上板町を歩いていてこう言う人がいました。こういう人にこそ演説会に参加してもらいたいんですけど・・・。なかなかうまくいきませんね。
「いつも立っているのを見ます。頑張ってください」
藍住町の直道交差点で朝宣伝をしているのを見てくれている人がいました。見てくれているんですね。ありがとうございます。
今夜はここまでにします。今日はステキな再会がありました。嬉しい気分のまま寝ることにします。明日はリーフとアンケートと演説会ビラを持って北島町に出没する予定です。みなさん、おやすみなさい。いい夢見れますように・・・。
【おまけ】
今夜、テレビで徳田耕太郎くんを見た。彼は凄い!感動したぞ~!
今日の先生との出逢いは感動的でしたね。あなたのブログを見てあの時を思い出して、私も泣きそうになりました。また色々なところで、素敵な出逢いがありますように…。
かしわぎみちよさん、コメントありがとうございます。
本当に嬉しかったです。歩くと嬉しい出会いもいっぱいありますね。どうぞ、これからもよろしくお願いします。来年4月まで半年です。これから全力投球です。