30年ぶりの出会い ミュージカル「オリーブの枝」

オリーブの枝 てづかこうじ

劇団ほじゃな 第4回公演 「オリーブの枝」

みなさん、こんばんは!日本共産党の手塚弘司です。私が劇団を創ったのは、信用金庫に就職して1年たったころ、1980年(昭和55年)の2月です。名前は「ほじゃな」。公演をしなくなって、もう10年が過ぎましたが、今年、結成35周年となります。初めてのミュージカル公演は第4回目の公演、「オリーブの枝」でした。先日も書きましたが、ローラースケートミュジカル。歌とダンスとローラースケートの稽古。もちろん、芝居の稽古もあるのでとても大変でした。そうそう、生演奏だったので、そちらも大変だったんです。若いという事は無茶苦茶なことができるんですよね。今ならできません。絶対にしません(笑)

青年団の活動もやっていました。一緒に活動していた藍住町役場の若い職員のみなさんもたくさんスタッフに参加してくれて、みんなで創った作品です。だから「ほじゃな」は私が創った私の劇団というより、藍住町の劇団・・・って感じだったかもしれません。

オリーブの枝 みんなで歌を歌う

藍住町を拠点にして劇団活動をしていました

今日の午前中、藍住町をKさんと一緒に歩いたときのことでした。「オリーブの枝」という作品は東京キッドブラザースの作品で、子役が必要だったのです。藍住町で探しまくって、やっと見つけたのが「えみちゃん」でした。当時、多分、小学生だったかなあ・・・。そのえみちゃんのお父さんとお母さんに偶然会ったのです。

「手塚さん、その節は、送り迎えをしてもらって、本当にありがとうございました。頑張ってくださいね。必ず応援します。みんなに言っておきます」

「えみちゃんはお元気ですか?今はどちらにいらっしゃるんですか?もう30年以上、会っていません。道で出会ってもわからないですよね」

「娘は石井町にいるんです。手塚さんのことは伝えておきます」

「今日、お会いできて本当に嬉しいです。ありがとうございました。頑張ります!」

オリーブの枝 えみちゃんと

本当に嬉しい出会いでした。歩くと本当に出会いが楽しい。今度は劇団ほじゃなの創立のメンバーのお宅に偶然、訪問しました。「うちの妹が手塚さんと一緒に劇団してたよ。同級生やろ?」「あ・・・和ちゃんの?そうです。そうです!和ちゃん、お元気ですか?」「今は鳴門でおるんよ」「そうですか、またよろしくお伝えください」・・・こんな感じで。

今日は本当にいい気分で行動ができました。3月1日の演説会に参加してくれる人もたくさんできました。会場にいっぱい来てくれたら嬉しいなあ・・・。

えみちゃんのお宅へ訪問したことで、一気に昔に気持ちが返ってしまいました。今の私は20代のピチピチボーイの気分です。初めてのミュージカル「オリーブの枝」、ラストの私の長セリフ。今だったら覚えられないなあ・・・。こんな感じなんです。

10年前に俺が育てたオリ-ブの枝を折ったあいつに復讐するんだ。
あんたは俺が冗談をいってるんだと思っているんだろ。違うぜ。これは正真正銘の遅れてきた殺人なんだ。
10年前までおれは小豆島にすんでいた。島中にオリ-ブが生い茂って銀色の葉の照り返しを顔いっぱいに浴びて育ったんだ。日が沈むころになると海が真っ赤に染まり島全体がスペインから輸入されたメロンみたいに黄金色に満たされる。俺はただ、そこで生きてた。そして死ぬまであの島で生きてるだろうってそう思ってた。あの頃の俺って野生の絶滅する寸前の野獣みたいに生きていたんだ。
ある日あいつがいうんだ。東京に行こうぜ。こんな島に一生いたら退屈で死んでしまうよ。第一何も起きてないし、起こせない。
東京じゃ人間がギラギラって輝いていて俺達と同じような連中が戦争を始めるんだ。うすのろの大人達にオリ-ブの実をぶつけるより、もっと怒りを込めて、公民館でみたドサ周りのボクシングよりもっと本気になってみんな戦ってるんだ。島を出て汽車に乗って東京へ行こうぜ!
俺が黙っているとあいつはオリ-ブの枝を折って俺を殴りつけるんだ。
腰抜け!腰抜け!東京に行こうぜ一緒に!
そういって何度も殴り付けるんだ。
俺達は島を出た。一緒に暮らした。デモに行ったり絶対不発するとわかってる火薬を仕掛けたり、郵便局を襲う計画を練ったり。
だけど、何も起きなかったし、何も起こせなかった。
5年程してあいつと別れた。1ヶ月前に俺は急に思い出して3日かかってあいつを探し出したんだ。
まっ、こぎれいなアパ-ト。あいつ結婚してた。
3つになる男の子。あいつは酒を注ぎながらいうんだ。
「おまえもそろそろまともな仕事についたらどうだ?」
おれはその時オリ-ブの枝で打たれた痛みを思い出したんだ。
俺は突然タイムカプセルに乗ったみたいに10年前のあの太陽がギラギラッて照り付けた銀色の光の中に戻ってしまったんだ。
こんなことは誰もわかっちゃくれないだろう。
だが、ロ-ラ-スケ-ト場で、ほんの小さな伝説にしてくれよ。
おかしな奴がいたって。ド-ナッツショップで、格好の噂説にしてくれよ。

このセリフを一気にしゃべるのです。脚本の東由多加は長セリフが好きなんですよね。大変でした(笑)

東京キッドブラザース 「失われた藍の色」

失われた藍の色 東京キッドブラザース

さあ、今夜はここまで!おやすみなさい・・・。

 

【おまけ】

なぜ、この人と話をすると楽になるのか

お勧めの本です。「なぜ、この人と話をすると楽になるのか」。ニッポン放送アナウンサーの古田尚記さんが書いた本です。コミュ障だった彼が書いた本。一気に読みました。おもしろいです。

古田直記

カテゴリー: 未分類   作成者: てづかこうじ パーマリンク
てづかこうじ

てづかこうじ について

●1961年生まれ ●1979年県立板野高校卒業・鳴門信用金庫就職 ●1980年劇団ほじゃなを結成  藍住子ども劇場運営委員長、日本アマチュア演劇連盟理事、徳島演劇協会副会長  鳴門信用金庫職員組合委員長などを歴任 ●2003年徳島信用金庫を退職  日本共産党の専従に  現在、日本共産党徳島地区委員会副委員長

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