18歳だった、36年前のあの日を思い出す

透き通るような青空の下で演説を

透き通るような青空の下でマイクを握る

みなさん、こんばんは!日本共産党の手塚弘司です。今日の午前中は藍住町でマイクを握りました。林茂町議とTさんと3人で町内を宣伝してまわりました。マイクを握りながら空を見上げると、透き通るような青空。気持ちいい・・・・。

藍住町内をぐるぐるまわりながら、演説をしていました。あるお宅の前で演説をしてたのですが、見覚えのあるお宅・・・。

私は今の共産党の専従の仕事をする前に、信用金庫で仕事をしていました。板野高校を卒業して18歳で鳴門信用金庫に就職したのです。4月に藍住支店に配属になって、5月から外へ出ました。毎日毎日、新規訪問の連続でした。なかなか契約が取れないんです。当時は定期積金のノルマがあって・・・。定期積金とは毎月、金額を決めて、積立をするんです。

で、先ほどの話に戻りますが、私が初めて契約が取れたお宅だったのです。忘れもしません。Tさんです。36年前、私が18歳の時、何度も何度も訪問して、やっと新規契約をしてくれたTさん。今も思い出しますが「若いのに熱心に何回も来てくれて、根負けしたわ。少ないけど、積金するよ」と言ってくれたTさん。高校を出たばかりで、なかなか契約が取れなくて困っている、10代の若い男の子を哀れに思ってくれたのでしょうか。本当にありがたかったです。今でも信用金庫の得意先の人が来られているようです。

当時30代で若い奥さんだった彼女は60代になっていました。18歳の私も54歳ですからね。彼女とそんな話をして固い握手をして別れました。別れ際、彼女は「頑張ってください。応援しています」と言ってくださいました。心から感謝です。彼女の自宅を出て見上げた空も透き通るような青空でした。

きれいな青空

知事選挙の告示が26日です。街頭宣伝をどんどんできるのも明日までです。今日、念願の「てづか」ののぼりができ、事務所に届きました。早速、明日からこれを持って宣伝します。なんでもっと早くに作っておかなかったんや・・・って言われそうですが、いろいろ事情もございまして(笑)

てづか弘司の幟

とにかく、きれいに仕上げてくださいました。森口さん、ありがとうございました。明日の藍住町直道交差点での朝宣伝にはこれを持って立つことにします。午前中は松茂町を歩きます。午後から最終まで街頭からマイクで訴えます。今夜はここまでにします。みなさん、おやすみなさい・・・。また明日も元気にお会いしましょう

カテゴリー: 未分類   作成者: てづかこうじ パーマリンク
てづかこうじ

てづかこうじ について

●1961年生まれ ●1979年県立板野高校卒業・鳴門信用金庫就職 ●1980年劇団ほじゃなを結成  藍住子ども劇場運営委員長、日本アマチュア演劇連盟理事、徳島演劇協会副会長  鳴門信用金庫職員組合委員長などを歴任 ●2003年徳島信用金庫を退職  日本共産党の専従に  現在、日本共産党徳島地区委員会副委員長

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