彼が生きていたなら50歳なんや
みなさん、こんばんは!日本共産党の手塚弘司です。私は尾崎豊が大好きでした。彼が生きていたら50歳なんですね。今年生誕50年という事で、尾崎豊生誕50周年記念ボックスセット『OZAKI・50』が発売されます。11月29日発売だそうで、完全予約限定製品で、7月31日が予約締切です。ファンのみなさんにはたまらないものでしょうね。私も手に入れたいけどなあ・・・。
彼は1983年の12月に「15の夜」でデビューします。1983年といえば私は劇団ほじゃなを創って4年目で、青春の真っただ中。まだ独身でした。尾崎が超有名になる前から、彼に注目していて、アルバムが出たら即買いました。高松のオリーブホールに彼が来た時も追っかけて行きたかった・・・けど、仕事でいけなかったんですよ(笑)・・・今でもそれを後悔しています。和歌山市民会館に彼が来たときは、私に影響を受けた妻が尾崎に会いに行っています。尾崎豊には男女を問わず、夢中にさせる何かがありました。
1992年に彼は26歳で亡くなってしまいます。彼の死に大きな衝撃を受けました。私はショックでした。生きている時にも薬物で逮捕されたり、いろいろ問題もあった彼でした。繊細な心を持った、壊れそうな男だったと思います。
彼の死因には今でも不可解な点がたくさんあります。ネットの世界では色んな説が飛び交っています。彼の裸の死体の写真なんかも出てきますが、目を背けたくなるような画像です。彼は本当は殺されたんじゃないか・・・。そんなことをいう人もいます。本当の事はわかりません。
今でも、たくさんのファンがいて(私もそのひとりですが)彼の歌は亡くなった今でもずっと生き続けているんです。私もカラオケでは彼の歌を歌います。
劇団ほじゃなの公演で「君は輝いて天使に見えた」という舞台を創ったことがあります。オープニングに彼の歌を使いました。幕開きの最初のセリフは「尾崎、何で死んでしもたんやろな・・・」でした。懐かしく思い出します。
僕、本当に勝てるかな
彼が亡くなったのは4月25日。
彼の最期の言葉は「僕、本当に勝てるかな」でした。
私と同年代の彼、彼が残した歌に込められた思い、しっかりと伝え続けなければと思うんです。
今夜は尾崎の歌でも聞きながら寝るかな・・・。みなさん、おやすみなさい。明日は147回目の徳島金曜日行動です。夕方6時に徳島駅前集合です。みなさん、来てくださいね。では、また明日。