今朝の東京新聞、一面トップに美輪明宏さん!
みなさん、こんばんは!日本共産党の手塚弘司です。今日は憲法記念日です。徳島でも記念の講演会や行動がありました。私は日直と宿直でしたので、ずっとひとりで地区事務所にこもっていました。選挙の後片付け、残った書類の整理など、ごそごそとやっていました。それにしても暑い・・・。部屋の中にいても暑かったです。昨日も書いたけども、夏になった感じです。
東京新聞の一面トップには美輪さんが登場しています。「平和つなぐ 危機迫る憲法 自作反戦歌 今こそ」と書きました。徳島新聞はというと・・・。「憲法施行きょう68年 改正に賛否割れる 自民は17年発議照準」と書きました。
憲法を変えようとする、間違った考えの人がたくさんいます。変えたら戦争へと進んでしまう。9条は絶対に変えてはいけない。これは極端な話をしているのではありません。今こそ、しっかりと声をあげなければとんでもないことになってしまう。
私は後悔はしたくないんです。あのとき、まわりの人にバカにされようとも、声を出さなかったこと、行動をしなかったことを後悔したくないんです。だから、戦争反対!と叫ぶし、原発いらん!と叫ぶんです。
今夜はちょっと早めに宿直室に入って休むことにしましょう。みなさん、おやすみなさい・・・。
【おまけ】
東京新聞の記事の一部を紹介します。
一九四五年八月九日、いつもと変わらぬ夏休みの朝だった。美輪さんは、防空ずきんを背にかけ、縁側の机で宿題の絵を描いていた。ピカッ。白い閃光(せんこう)の後、ごう音と揺れに襲われた。
お手伝いさんに手を引かれ外へ出た。全身が火ぶくれてうなり声を上げる人。首のない赤ちゃんの上に倒れ込み泣き転げる女性。「助けてくれ」とつかまれた人の手を振り払うと、肉片が自分の腕についた。
「原爆 水爆大好きな 戦争亡者の親玉よ お前の親や兄弟が 女房や子供が 恋人が 焼けて爛(ただ)れて死ぬだろう 苦しみもがいて死ぬだろう」(美輪明宏作詞・作曲「悪魔」より)
美輪さんにはもう一つ、胸に刻まれた戦争の光景がある。
実家のカフェで働いていたボーイの三ちゃんが出征した時。汽車が出る寸前だった。三ちゃんの母親は、息子の足にすがり「死ぬなよ。どげんことあっても帰ってこいよ」と叫んだ。
憲兵に引きずり倒され、頭を打って血を流してもなお、母は「死ぬな」と声を上げた。その三ちゃんが生きて帰ることはなかった。
「戦争や軍隊、軍国主義の正体をみんな知らなすぎます」