お母さん、生んでくれてありがとう・・・母の日に思う

母と私

母の実家にて。(徳島市昭和町)

今日は母の日

母の日のカーネーション

みなさん、こんばんは!日本共産党の手塚弘司です。今日は母の日です。我が家には年老いた母がひとりいます。昭和6年生まれの84歳。かなり腰が曲がってしまい、耳も聞こえなくなって、話をしていても半分くらいしかわかってないような気がします。いつも横になって寝ていますから、時々時間がわからなくなって、朝なのか、夜なのかがわからないようになったりします。時計を見ても、今、何時なのかがなかなかわかりません。昔は元気でどこまでも歩いて買い物にも行ってたんですけどね。昔から自転車には乗れない母でした。小学校の時に作文を書いたことがあります。お母さんのことを書いてください・・・ってことだったと思うのですが、今でも覚えています。書き出しが「僕の母は自転車に乗れません」だったことを(笑)

いつも自宅でいるときは喧嘩ばかりしています。ついついいやらしく言ってしまうんですよね。こちらもついついイライラしてしまって、大きな声で怒鳴ってしまうんです。怒鳴ったあとで、かわいそうなことを言ったな・・・と反省をするんですけど。

私は県議選挙の候補者として1年間、頑張りました。母は「また選挙に出るんか。おまえが何で出るんな。他におらんのか」とおっしゃいます(笑)

選挙に出るのには大賛成ではなかった母ですが、出陣式や演説会のときは「頑張ってきなよ」と朝、そっと声をかけてくれる、優しい母です。

私は幼いころからおとなしい子どもで、友達もいなくて内気で、どうしようもない子どもでした。自分は生きていてもしかたない人間じゃないんだろうか、いっそ死んでしまった方がいいんじゃないだろうか、そんなことばかり考える子どもでした。そして、人前では何もしゃべれない子どもだったので、母はかなり心配したと思います。しかし、私は54歳まで何とか生きてきました。

算数の計算ができない私に、内職のビーズ玉を使って教えてくれた母。よく覚えているんです。貧乏だったので母はいつも内職をしていました。若いときから苦労ばかりしてきた母です。

面と向かっては恥ずかしくて言えないけど、「お母さん、僕を生んでくれてありがとう」

半分ボケてしまった母ですけど、この母がいたからこそ、今の私がいるんだと思います。母の日に感謝の気持ちをこめて。どうか、いつまでも元気でいてくださいね。

母と私

今夜はここまでにします。早めに宿直室に入ります。おやすみなさい・・・。

あ、今度、妻の実家の母と私の母とを連れて、温泉にでも行こうかと思っています。山口県の湯本温泉に行こうと考えています。できるときに親孝行をしておかないとね。湯本温泉の近くにある「角島」へも行こうと思っています。

角島

母の日

【おまけ】

私の大好きな、藍美代子が歌った「母」です。あまりヒットはしなかったけれど、大好きな歌です。1976年(昭和51年)の曲です。どうぞ、聞いてください。

母

藍美代子 母

 


カテゴリー: 未分類   作成者: てづかこうじ パーマリンク
てづかこうじ

てづかこうじ について

●1961年生まれ ●1979年県立板野高校卒業・鳴門信用金庫就職 ●1980年劇団ほじゃなを結成  藍住子ども劇場運営委員長、日本アマチュア演劇連盟理事、徳島演劇協会副会長  鳴門信用金庫職員組合委員長などを歴任 ●2003年徳島信用金庫を退職  日本共産党の専従に  現在、日本共産党徳島地区委員会副委員長

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