81年前の今日、彼は殺された
みなさん、こんばんは!日本共産党の手塚弘司です。みなさんは小林多喜二をご存知でしょうか?プロレタリア作家で「蟹工船」の作者で有名ですよね。彼は日本共産党員でした。特高警察によって酷い拷問で殺された彼は29歳でした。
二度とあんな時代にはなってほしくないと思いますが、今の安倍さんのやっていることを見ていて感じるのは、あの時代に逆戻りしているような気がしてならないんです。
だからこそ、今、私たちは声を上げなければいけないんです。
今朝の赤旗日刊紙の潮流から記事を紹介します。
日本共産党員でプロレタリア作家だった小林多喜二は、81年前のきょう、特高警察の野蛮な拷問に29歳の命を奪われました。戦前、彼が書いた『蟹工船』は今も若者の心をつかんでいます。
現在、共産党の国会対策委員長を務める穀田恵二さんも影響を受けた1人です。高校生の頃、政治や経済の仕組みと土台を勉強するようにと、父親から渡された数冊の本。なかの1冊が『蟹工船』でした。若き穀田さんは、労働者の視点に身を置くことの大切さを思い知ったといいます。
最近出版された『日本共産党の深層』で知りました。丹念な取材によって作家の大下英治さんが人物に焦点をあてながら描き出した、一味違う党の紹介。売れ行きはよく、早くも重版が決まりました。
昨年の躍進以来、マスメディアをはじめ共産党への注目がつづいています。本紙でも報じたように長野県や高知県では党の会議に多くの報道陣が集まり、地元紙に大きく取り上げられました。赤旗編集局にも新聞や雑誌、テレビの取材が相次いでいます。
ほかの野党が安倍自公政権になびくほど“自共対決”を鮮明に打ち出す共産党の存在が浮き立ってくる。福岡では保守系の政治団体から初めて党に講演依頼がきました。
自共のぶつかり合い。自民党は党員拡大のノルマを国会議員に課し、下回れば罰金をとるそうです。日本の未来を切り開くため、自覚的に党員を倍加し、世代の継承にも意気高くとりくむ共産党。結党91年。多喜二らが命がけで守りぬいた、党の姿です。
小林多喜二のお母さん、セキさんが書いたものです。
あ~、またこの二月の月がきた。本当にこの二月という月は いやな月。声をいっぱいに泣きたい。どこにいっても泣かれない。あ~、でもラジオで少し助かる。 あ~、涙が出る。メガネがくもる
三浦綾子さんの小説『母』は、多喜二のお母さんを描いています。実際に、本人からの取材をもとに書かれたものです。多喜二のお母さんは、変わり果てた息子の身体を抱いてこう叫びました。「嗚呼、痛ましい…よくも人の大事な息子を、こんなになぶり殺しにできたもんだ」。そして傷痕を撫でさすりながら「どこがせつなかった?どこがせつなかった?」と泣いた。やがて涙は慟哭となった。「それ、もう一度立たねか、みんなのためもう一度立たねか!」と。
私は悔しくて、悔しくて、涙が出ます!
こんな理不尽な時代があったんです。朝のNHK連続テレビ小説「ごちそうさん」でもちょうど今、戦争を描いています。二度とこういう時代にならないために私たちは声を上げなければいけません。
明日は85回目の原発再稼働反対の徳島金曜日行動です。
頑張ります!
にほんで拷問?病死かも?で小林氏がなくなられたことは痛ましいことだとおもいます が 小林氏が心酔してたソビエト共産党のチェキストどもに殺された人たちにもしょうてんをあててやってください 日本共産党も同類です 今はスーツきてニコニコしてますが 戦後は武力闘争派でしたね
コメントありがとうございます。日本共産党は自主独立、他国の共産党とは違います。同じ名前なのでソ連や中国と同じと思っている人がかなりいると思います。
誤解を招かぬように党名を変えたらいがかでしょうか?
匿名さん、コメントありがとうございます。
名前を変えたらもっと共産党は大きくなるのにと、少なくない方からアドバイスをいただきます。
日本共産党は先月、7月15日で結党74周年を迎えました。そして、今日はその記念講演が東京でありました。
74年間、ずっと名前も変えずに頑張ってきました。今から名前を変えて・・・ということにはならないと思います。
たとえ、名前を変えても「元共産党の」と言われるので同じことです。
私たちは、この名前に誇りを持っています。
戦前のあの暗黒の時代から、命がけで「戦争反対」を言い続けてきたんです。
誤解はしっかりと解いていきたいと思います。
ありがとうございました。感謝します。
お写真それぞれのもともとの出典を付けられるとよいと思います。
なかむらさん、コメントありがとうございます。
ご忠告、感謝します。
応援します