定数が減って厳しいかもしれんけど、頑張らなあかんのでよ!

会議で叱咤激励 板野町にて

みなさん、こんばんは!日本共産党の手塚弘司です。今日の午前中は板野町での会議に参加しました。手塚弘司という人間をまずは知ってもらおうと、自己紹介をさせてもらいました。訳のわからない人間を応援しようとはなかなか思わないですもんね。「ああ、この人なら応援してもいい」そう思ってもらわないといけないですもんね。

上板町の泉谷で生まれて、地元の松島小学校、上板中学校を卒業し、板野高校に通いました。高校3年間は演劇部で過ごしました。勉強は全くしないで3年間、演劇ばかりしていました。中学校までは人前でしゃべることもなかなかできないおとなしい子どもでした。自分の言いたいことの10分の1も言えない子どもでした。これではいけないと演劇を始めたのです。演劇が自分を変えてくれた。だから大事にしたい・・・。そう思ってアマチュア演劇を始めます。1980年に劇団「ほじゃな」を結成。各地の慰問公演や定期公演、全国青年大会への出場など、精力的に頑張っていました。

子ども劇場運動にも参加し、藍住子ども劇場の青年ブロック長や運営委員長などもしました。子どもたちが生の舞台を観て、目をきらきら輝かせているのを見ることが私の幸せでした。劇場で見た作品で私の一押しは、劇団あとむの「風を見た少年」です。今でもあのときの感動は忘れることができません。秋山さん、お元気ですか?

信用金庫に勤めた年数は24年。藍住支店、松茂支店、北島支店、大麻支店、瀬戸支店、鳴門本店・・・。あちこち回りました。得意先係として毎日地域を歩きました。この仕事は実に楽しかったです。名刺1枚持って新規訪問します。「なにか困りごとはございませんか?何でも言ってくださいね。この地域を担当しています、手塚弘司です。またいつでも呼んでください」そう言って訪問を繰り返しました。ですから、あちこちで手塚を知っている人がいます。

赤旗を勧めながら訪問して「今度、県議選挙に出るんですよ」と話をすると、いろんな反応があっておもしろいです。「ああ、なるしんの手塚さん?」とか、「子ども劇場で頑張ってたね」とか、「ほじゃなの舞台、観ましたよ」とか・・・。出会いは楽しいです。

なんやかんやと自己紹介をしました。

会議に参加していたみなさんからも叱咤激励していただきました。

「定数が減って厳しいかもしれんけど、頑張るんじょ」

「今度、一緒に知り合いを訪ねていきましょう」

「手塚さんの演説、ちょっと気になるところがあるんよ。誰かの言い方に似ているなあ・・・って考えていたら、大阪の橋下徹の言い方と一緒なんよ。気になってなあ・・・・。ちょっと押しつけ過ぎるけん、聴衆に合わせて言い方を変えなあかんよ」

う~ん、そうですか、頑張ります。

「共産党の人はみんな同じことしか言わないっていう人がおる。もっと個性を出して頑張ってよ。手塚さんらしく演説もやって」

短時間の会議でしたが、いっぱい勇気も元気ももらった会議でした。明日は地元、上板町に出没します。上板町のみなさん、よろしくお願いします。

今夜は宿直です。明日に備えて早く寝ることにしましょう。宿直室に入ります。みなさん、おやすみなさい。また明日も元気にお会いしましょう。

 

【おまけ】

今朝の赤旗「潮流」から記事を紹介します。

大阪・泉佐野市の教育委員会が、小中学校の図書室から漫画「はだしのゲン」を回収していました。差別的な表現が多いと問題視した市長から要請をうけたといいます。

昨年は、松江市でも学校での閲覧を制限していたことがわかりました。戦争や原爆の悲惨さを描いた漫画を子どもたちの目にふれないようにする。靖国参拝を批判した作品の撤去を求めた東京都美術館の姿勢にも通じるものがあります。

偏った価値観や考えで物事をとらえ、それに沿わないものは受け入れない。そんな窮屈な空気が漂うなかで、権威や審査に縛られず、だれでも自由に出品できる日本アンデパンダン展が、いま六本木の国立新美術館で開催されています。

千をこえる作品から伝わる、それぞれの思い。原発事故をテーマにした作品が目につきますが、大震災から3年、表現は多様です。おどろおどろしい絵もあれば、きずなや希望を感じさせる色彩も。造形や空間を使って、異質の恐怖を訴える出品者もいます。

現実社会の矛盾を鋭く写す、自己の内面をじっと見つめる、日常の一瞬や自然の生命力の輝きを切り取る。巨大なキャンパスに戦争反対を多面的に描いた作品や、若者の斬新な発想の作風もみられます。

主テーマは「時代の表現 生きる証」。主催する日本美術会は半世紀をこえ、ときどきの市民の姿や生活、たたかいを彩ってきた作品を世に送り出してきました。つねに自由な創造を掲げてきたその精神を引き継ぐことは、いまの時代にますます重い。

数年前に徳島市民劇場で「はだしのゲン」の舞台を観ました。すばらしい舞台でした。木山事務所のミュージカルでした。私はそのまた数年前に東京で木山事務所のこの舞台を観たのです。涙が止まりませんでした。

私たちは戦争の悲惨さ、惨さを伝えなければいけない責任があります。子どもたちに読ませないなんて、とんでもない!私は、頑なにこだわり続けたいと思います。

 


カテゴリー: 未分類   作成者: てづかこうじ パーマリンク
てづかこうじ

てづかこうじ について

●1961年生まれ ●1979年県立板野高校卒業・鳴門信用金庫就職 ●1980年劇団ほじゃなを結成  藍住子ども劇場運営委員長、日本アマチュア演劇連盟理事、徳島演劇協会副会長  鳴門信用金庫職員組合委員長などを歴任 ●2003年徳島信用金庫を退職  日本共産党の専従に  現在、日本共産党徳島地区委員会副委員長

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