私、独身の時から「ほじゃな」観ていたんですよ。

ペルーの野球7

第5回公演「ペルーの野球」から (右が23歳の私)

 

子ども劇場でお世話になっていました!

みなさん、こんばんは!日本共産党の手塚弘司です。今日は朝から藍住町での行動です。7時30分から直道交差点で朝の宣伝です。元気いっぱいの古田元則県書記長と一緒に手を振りました。8時からはマイクを握ります。今日は力一杯訴えました。宣伝が終わったあと古田さんが「今日は力が入っとったな。自己紹介をしっかりしたらいいと思うけど、共産党との出会いもしゃべったらいいよな。あと徳島駅前の原発反対行動は何回目というのもちゃんと言ったらええと思う」とアドバイスをいただきました。古田さんはいつも的確に指摘してくださいます。ありがとうございます。直道交差点を通って応援してくださったみなさん、ありがとうございました。

そのあと藍住町をKさんと歩きました。10月11日の演説会の案内をしながら歩きます。核兵器廃絶のアピール署名もお願いします。今日はたくさんの人が署名もしてくれて楽しい話もできました。あるお宅へ行ったときの事です。

「共産党の手塚です。演説会のご案内でお伺いしました。いかがですか?ぜひ共産党の話を一度聞いてみてください」

「私、見に行ったことあるんですよ」

「あ・・・そうですか。演説会に来られたこともあるんですか」

「いえいえ、手塚さんの舞台を観ました。何度も観に行ったんですよ。独身の時から観ていましたよ」

「あらあ!そうなんですか!ありがとうございます。うれしいです。今はなかなか公演もできなくなって淋しい思いもしているんですけど、また舞台はやりたいって思っているんです」

「子ども劇場でも会員で手塚さんを知っているんですよ」

「あらあら、その頃の子どもさんはもう大きくなられましたでしょうね」

「はい、もう成人しています」

「あらあ、そうですか。月日が流れるのは早いですね。どうぞ、また応援してくださいね」

「わかりました。どうぞ、頑張ってください」

こんな出会いがあったのです。私は彼女のことを覚えてはいないんです。でも彼女は「手塚弘司」の名前を覚えていてくれていました。リーフレットを見てすぐに「ほじゃな」の手塚さん、「子ども劇場」の手塚さん、ってわかったようです。歩くとこういう楽しい出会いがいっぱいあって、もうワクワクです。楽しく話をしてくださったNさん、ありがとうございました。

子ども劇場ではすばらしい舞台をいっぱい例会にしてきました。私が一押しの舞台は劇団あとむの「風を見た少年」です。見終わったあと、何とも言えない気持ちになりました。Nさんもこの舞台観たのかなあ・・・。

風を見た少年 劇団あとむ

どうして泣くの風を見た少年!

風を見た少年

あとむの舞台はすばらしいです。ぜひ機会があれば観てください。

 

先日の日記で手記を少し書いたと報告しました。今日、届いた日曜版に折り込みをしてみなさんに読んでもらうようにしていますが、このブログでも紹介しておきます。素直な私の思いです。

 私は板野郡の上板町泉谷に住んでいます。生まれも育ちも上板町です。幼い頃からおとなしい子どもでした。人前でしゃべることもできないような子どもでした。だから友達もあまりいませんでした。そんな自分が嫌で、自分を変えたいと思っていました。

 高校生になって演劇部のドアをノックしました。板野高校の演劇部は当時、全国大会最多出場を誇る伝統校でした。厳しい稽古でも有名でした。私は人並みにしゃべれるようになりたい、嫌なものは嫌だと言えるようになりたいと毎日稽古に励みました。三年間、頑張って自分を大きく変えることができました。

 高校を卒業して鳴門信用金庫に勤務しました。最初の勤務地は藍住支店でした。松茂支店、北島支店と板野郡内を駆けめぐりました。そのとき、世の中っていうのは強いものが勝って、弱いものが泣くんだと知りました。それは嫌だ。そんな世の中は変えなければいけないと思ったのです。

 信用金庫に勤めながら「劇団ほじゃな」を創りました。自分を変えてくれた演劇を大事にしたいと思ったし、自分のように悩んでいる人に元気になってもらいたいと思ったのです。舞台の上から訴えたことは「今はつらいかもしれないけど、元気だそうよ。きっと明日は今日より良い日だから」負けずに頑張ろうというメッセージでした。

藍住子ども劇場の運動にもかかわって頑張りました。劇団の活動を始めたときと同じ頃でした。

「子どもたちに大きな夢を」と頑張りました。

 生の舞台を観て目をキラキラ輝かせる子どもたちが大好きでした。演劇って本当にすごいんです。人生に疲れて、死のうと思っていた人に、勇気と希望を与えることもできる。だから大事にしたかったのです。

 共産党との出会いは、住井すゑの小説「橋のない川」です。私は人間はみんな平等だと思っていました。だから子どもの頃から天皇の制度はおかしいと思っていたのです。共産党は誰もが平等な世の中をつくろうと頑張っている政党です。戦争にも反対をした唯一の政党です。だから私は共産党を選びました。共産党の一員として今、頑張れていることに誇りを感じています。

今夜はここまでにします。日曜版が到着しました。今週もおもしろいですよ。お楽しみに。では、みなさん、おやすみなさい。

赤旗日曜版10月5日号

明日は今日よりきっと良い日のはずです!

カテゴリー: 未分類   作成者: てづかこうじ パーマリンク
てづかこうじ

てづかこうじ について

●1961年生まれ ●1979年県立板野高校卒業・鳴門信用金庫就職 ●1980年劇団ほじゃなを結成  藍住子ども劇場運営委員長、日本アマチュア演劇連盟理事、徳島演劇協会副会長  鳴門信用金庫職員組合委員長などを歴任 ●2003年徳島信用金庫を退職  日本共産党の専従に  現在、日本共産党阿北地区委員会委員長

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