都はるみ 夫婦坂 1984年(昭和59年)

第35回NHK紅白歌合戦 都はるみのラストステージ

都はるみ 夫婦坂

水前寺清子(チータ)の顔が見えます。三波春夫の顔が見えます。八代亜紀、森進一、島倉千代子・・・。紅組の司会は森光子です。第35回NHK紅白歌合戦、都はるみの引退ラストステージです。

みなさん、こんばんは!日本共産党の手塚弘司です。今日は事務所で丸一日こもっていました。機関紙の事務仕事、事務所の片付け、などなど・・・。気が付けば夕方になっていました。

明日は講師資格試験です。共産党は年に1回、こういう名前の試験があるんです。強制ではありません。希望者が受験するんですけどね。4科目あって、私は3科目を受験します。党史とか、綱領とか、規約とか、党建設とか・・・。毎回、合格しているのではありません。いつもどれかは失敗するんですよね。明日、またダメかな(笑)

今夜は早く寝ることにしましょうかね。明日は丸一日中、試験ですから。頭をすっきりさせて受験会場へ向かいましょう。

大好きな『都はるみ』でも聞きながら、頭をすっきりさせることにします。この1985年は、私は23歳でした。あくる年、1986年に24歳で結婚しますので、独身最後の紅白歌合戦でした。なんら、関係ない話ですが(笑)

はるみちゃんがラストに登場した時の瞬間最高視聴率は84.4%。すごい数字です。ウィキペディアではこのラストシーンのことをこう書いています。

都のステージは異様な程の興奮に包まれ、語り継がれている。

人気絶頂だったこの年3月、都は「普通のおばさんになりたい」の流行語と同時に突然の引退を宣言。ラストステージとなる本紅白では引退の花道として大トリを務めることになり、本紅白は例年以上に注目を浴びていた。都の歌唱前、鈴木が光子に「司会者としての言葉は要りません。人生の先輩として言葉を送ってあげてください」と述べ、光子が両目に涙を浮かべながら「デビューして、20年。満開のまま散りたいという、都はるみさん…都はるみさんは、デビュー20年そして紅白出場も20回です。そして今夜のこの紅白を、最後の花道として、歌手生活に別れを告げます。あと、十何分間で北村春美(=都の本名)さんです。20年間ありがとう、さようなら…全国の皆さん、『夫婦坂』です」との曲紹介に送られ、都は大歓声のステージへと降りていった。

都は大トリ曲だった「夫婦坂」を涙を堪えて歌いきるも、歌唱終了直後に一礼したまま感極まって顔を上げられなくなり、会場からは割れんばかりの拍手が30秒以上に渡って続いた。そのうち会場からは「アンコール、アンコール…」の大声が鳴り響いた。この時、鈴木は泣き崩れそうになり立ち尽くしたままの都に同意を求め、「紅白史上初のアンコール」が行われ、オーケストラは都の代表曲「好きになった人」を演奏。都は1コーラス目では大粒の涙を流したまま声が詰まって全く歌えず、他の歌手たちが都を囲んで大合唱(紅組歌手の中には水前寺・八代亜紀石川さゆり小柳ルミ子など、泣きながら都に寄り添い歌唱していた)。2コーラス目には鈴木や他歌手達の催促もあり、都は最後の力を振り絞る様に声を震わせながら歌唱した。

このアンコールが起こった際に鈴木が発した「私に1分間時間を下さい」の句を含むスピーチは、放送史上に残るもので、次の通りであった。

(都の「夫婦坂」の歌唱が終わり、会場からの拍手と歓声「アンコール…」の声援が鳴り響く)
皆さん、皆さん、ご静粛に願います。皆さん、ご静粛に願います、私の話を聞いてください! はるみさんのために拍手と涙をありがとうございました。全国の家庭でもおそらくこういう光景があろうかと思います。その拍手と涙は、はるみさんのアンコールを期待してる声だと私は理解いたします。(会場からの拍手)しかしです皆さん、皆さん。私どもは一度そのことをはるみさんにお願いしました。しかし、はるみさんは今の「夫婦坂」で燃え尽きたいとそう仰って、全てを拒否なさいました。練習もしてません。キーも合わせてありません。ということはプロ歌手としては歌わないということです。しかしです、私に1分間時間をください! 今、交渉してみます。(再び会場から拍手)交渉してみます、ちょっと待ってください! (鈴木が都に駆け寄る)はるみさん、はるみさん、あなたが燃え尽きたのはよく分かる。ね。だけどもこういう状態です。1曲歌う気力がありますか? 1曲歌う気力がありますか?? (都の了承が得られないまま、「好きになった人」の演奏が始まる)お願いします、お願いします。いい、如何ですか? (都が泣きながら「はい」と返事をする)歌います。お待たせしました! これが都はるみさんの最後の曲です。皆さんどうぞ一緒に歌ってあげてください。練習も何もしてない、その点どうぞご容赦願います。お許しください、どうぞ! さあ、はるみちゃんいこう!
(「好きになった人」の1番が始まる)

では、みなさん、今夜はここまで。おやすみなさい。

 都はるみ 夫婦坂 紅白のラストステージ 動画でどうぞ

都はるみ 夫婦坂(別バージョンもどうぞ)

【おまけ】

過去には大好きな都はるみのことを書いた日記がいっぱいです。その一部を紹介しておきます。自分で振り返って読んでも楽しいです。

ちょっとしたことでイライラしたり怒ったりするのはやめよう

命の大切さを考える コスモスが咲いています

本当の人間の生活

NHKに今、何が? 異常な秘密保護法報道

応援いただいたみなさん、ありがとうございました!

あなたに夢中 キャンディーズ

グラフ こんにちは 最終号 2000年12月

信用金庫の人はみな、手塚くんに入れたと思うでよ

父の日に思う

君のハートに火をつけて あいざき進也

今夜は大好きな都はるみ、好きになった人!

都はるみ 夫婦坂を歌う

 

カテゴリー: 未分類   作成者: てづかこうじ パーマリンク
てづかこうじ

てづかこうじ について

●1961年生まれ ●1979年県立板野高校卒業・鳴門信用金庫就職 ●1980年劇団ほじゃなを結成  藍住子ども劇場運営委員長、日本アマチュア演劇連盟理事、徳島演劇協会副会長  鳴門信用金庫職員組合委員長などを歴任 ●2003年徳島信用金庫を退職  日本共産党の専従に  現在、日本共産党阿北地区委員会委員長

7 thoughts on “都はるみ 夫婦坂 1984年(昭和59年)

  1. 私のブログにこんな書き込みがありました。匿名さんからです。
    「3年前から手塚さんの応援をしています。・・・・・・・・
    香川まで行って「天空の蜂」を来週見てきます。」
    (詳しくは私のコメントを見てください)
    嬉しいですね、ブログを続けているとこんな嬉しいことがあるんですね。

    • マサ子さん、ありがとうございます、ブログ見ましたよ。
      私もびっくりです。匿名さんなので、私もわからないんですが、嬉しいですね。
      これからも頑張ろうとおもいます。
      匿名の彼女(彼じゃないよね?)にまたよろしくお伝えください。

      • 匿名さん、こんにちは!手塚です。
        ブログをごらんになってコメントありがとうございます。
        そしてわざわざお電話もいただきました。
        ありがとうございます。
        特番の動画ですか。
        探してあれば紹介したいと思いますが、さあ、どうでしょうか。
        ブログにも書いていますが私は小学生の頃から都はるみの大ファンでして、初めて買っ手もらったレコードも都はるみです。
        忘れもしません、「おんなの海峡」です。
        またブログで書くかもしれません。
        どうぞ、これからも日本共産党共々よろしくお願いします。
        ありがとうございました。

  2. 紅白アンコール動画見たくなり検索中にたどり着きました。上の書き込み一つにしてください。送信スミわからず、送信ミスと思い何度か、、、ありがとうございました。

  3. ピンバック: 鈴木健二元アナウンサーが紅白でしたことは?放送史上に残る珍事!?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です